モンブラン登山とシャモニー周辺ハイキング(2002年夏)

モンブラン登頂(TADA)(2002年7月30日)

TADA、モンブランに出発

TADAいってらっしゃーい。お腹の調子が悪いようだけれど頑張りたまえ。 NAOMIと私はゆっくりする。部屋からモンブランを2人で眺め、モンブラン上空にある雲をフーフーと息で飛ばしていた。NAOMIは、パパの山は?ママの山は?なおちゃんの山は?ときいてくる。エギュイーユ・デュ・ミディ行きのロープウェーが見える。大きいブランブラン(ロープウェーのこと)乗りたい。と言っている。夕方出かけようと思ったら雨が降ってきたので出かけるのは中止する。

19時ころやっぱりTADAが帰ってきた。私が驚かなかったので残念だったらしい。本人はめちゃくちゃしんどかったらしい。お疲れ様でした。登頂おめでとう。

縦走コースでモンブランを目指して出発

(以下TADA)
ガイドはたぬのガイドより年配のジェフォムである。
エギュイーユ・デュ・ミディ行きのロープウェイ乗り場に5時30分に行く。
前回、エギュイーユ・デュ・ミディ展望台とエルブロンネル展望台の観光をしたときにも
並んでいるので要領はわかっていた。いくつかある窓口のうちのひとつの前から7番目くらいである
ジェフォムは6時近くなってようやく現れ、しかも列の一番前に現れて来いという。
こんな堂々と順番飛ばししていいのだろうかとためらいながら順番を飛ばして横入りしたが誰も文句を言わない。
どうも年配のジェフォムでは古株のため若いガイドたちも先輩として一目置いているようだ。

始発のロープウェイでプラン・ドゥ。レギーユ経由でエギーユ・ド・ミディにあがる。おなかの調子が悪かったが、トイレを出てからは緊張のためか気にならなくなった。まだ高度障害は現れていない。
DANGERの柵を乗り越えていよいよアルピニストの世界である。
展望台からミディのコルまで細く急な雪稜を下る。クランポン(アイゼン)がなければ絶対にすべるし、怖くて歩けないところだが、まったく怖くなく、さくさく進む。
たまに早くもへっぴりごしの人をどんどん追い抜かしていった。

ヴァレー・ブランシュからミディのコルを越えてモンブラン・タキュールへの登りに至る雪原歩きは楽しいものだった。
もっとも、クランポンのつけ方が悪くてはずれてしまい、いちどずっこけてしまったが。

(07:05)コズミック小屋を右に見ていよいよ上りが始まった。そんなにえらくなく、いくつかパーティを追い抜かす。

モンブランタキュール

モン・モディの壁を越えてモンブランに近づく

8時25分、別に疲れてはいなかったが、モンブラン・タキュールへの上りの途中で一度休み、振り返って写真をとることができた。
なんだ、意外にえらくない。いや、まだ油断は禁物だ。 足取りは快調でミディを先に出たパーティを次々追い越していく。

道はモンブラン・タキュールの頂上へ向かう道を左に分けて、モン・モディに向かう。少し下って、ふたたびほぼ平坦あるいはやや下りながら、快適な雪原歩きである。
「やっぱり、モンブラン・タキュールの頂上へはいかないのか。でも天候が悪くなる前にグーテ小屋へ到着せねばならんから残念だけど仕方がないなー」

モン・モディへの上りにかかり、ついにたぬがいっていた60メートルの壁にぶつかる。
「げっ、角度や高さも怖いけど、雪や氷がゆるみかけているではないか。これはよほどピッケルを深く刺さないと落っこちそうだ」

ジェフォムはついて来いといって上っていく。たぬのガイドのジョエルのようにガイドが先に上って確保してから上るという方式はとらないようだ。
一緒に登るほうが時間は節約できるけど、もしわしがおっこちても大丈夫なんだろうか。
ガイドが落ちたらわしがふみとどまれるわけないので一緒に落っこちることは言うまでもない。
高所恐怖症気味なので下を見ずにひたすらがむしゃらに登る。ピッケルを慎重に深く刺しすぎてぬけなくなり、かえって危ないときもあったが、
滑ったりおっこちずに登ることができた。 (10:07)

上と右が壁の上で休憩中の写真。

壁の上より振り返る。右奥がモンブラン・タキュール山頂

手前がグラン・コンバン その奥で雲から頭を出しているのがマッターホルン

壁の上に上ったらそこでしばらく休憩した。おしりを置くのがやっとの大きさの雪稜の上なのでとても下を覗き込んで写真をとることはできなかった。
そこでジェフォムでが話しかけていた。(実際は身振り手振り、片言英語だが意訳する)
「TADA いいペースだ。相談なんだが、明日は嵐が来るのでできたら今日中にシャモニに帰りたいがどうだ? TADAもファミリーもそのほうがハッピーではないか」
「そうだが、今日中にシャモニーまで帰り着けるのか?」
「ニ・デーグルの駅に17時までにつけば帰れる。このペースなら可能だ。」
「わかった」

嵐の山にいて明日の朝下るより、シャモニに帰れたほうが良いに決まっている。がんばってすすむことにした。
しばらく平坦な道を歩いた後、ついにモンブラン本体の巨大なお椀の上りが始まった。
道は右に左にジグザグに登っていく。おそらく標高4500mをすでに超えているはずだ。さすがに息が切れて体が重い。
少し頭が痛くなってきた。しかしXはどんどん休まず登っていく。シャモニに帰り着くためには時間の余裕もないとは思ったし、どうせ休憩するなら山頂でと思い、がんばって登り続けた。

このおわん。写真で見るとたいしたことがなさそうだがむちゃくちゃスケールが大きい。高度障害もあってかなり大変だった。

モンブランの頂上

永劫に続くかと思われたきつい登りもようやく終わり、ついに頂上に到着した。

振り返るとモン・モディも下に見える。

ガイドと記念写真。時間は12時7分。約5時間で到着した。標準が6~8時間なのでかなり速いペースである。

やった。ついに登った! 休めるぞー
喜んだのもつかの間、非情な宣告がジェフォムから下った。 「時間がないから、あと3分で出発する」
(えー、朝から何も食べていないし、せっかくだからゆっくりしたいのにー、がーん)

ボロボロの下山

がっくりきたためか、下り始めると同時にTADAの頭痛は激痛に変わり、フラフラになった。完全な高山病状態である。普通は登っているときになるのだが高揚していて自覚しなかったのか、がっかりして発病したのか。 ジェフォムに頭痛を訴えたが、「高度を下げれば直る」とひとことで片付けられた。正論である。しかし、もう体が言うことを聞かない。遅れだしたTADAを見かねたジェフォムは「座れ」といってついに座ったTADAをザイルで引きずって走り出した。しりゾリである。天候はどんどん悪化しだした。明日が嵐と言うだけのことはある。

情けなくもひっぱられながらTADAは14:00ごろにグーテ小屋に到着した。ここからニ・デーグルまでは岩場を所要時間3時間。 この先は岩場で、しりゾリも使えない。まともに歩けないTADAが17:00までに到着することは不可能である。
ジェフォムもあきらめたのかグーテ小屋で休憩すると言う。「助かった!」TADAは今日中に帰ることを既にあきらめていた。グーテ小屋も明日の悪天候を見込んでかほとんど客はいなかった。 グーテ小屋のスープは言葉で表現できないほど美味しかった。つい2杯も頼んでしまった。

温かいスープを飲んで1時間近く休憩したため、TADAの高山病はかなりよくなった。 ジェフォムは立ち上がった。
「さて出発するぞ、TADA」
「え? コースタイム3時間なのにあと2時間しかないので電車にはもう間に合わないのでは」
「大丈夫、私についてくれば2時間あれば充分だ」
すさまじい下山が始まった。もともとヨーロッパのコースタイムは日本のものと違ってコースタイムどおりにこなすのはかなり厳しい。まして険しい岩場でTADAはボロボロである。

岩場でのルート外のようなところを通っての追い越し。人の通った気配のないようなバリエーションルート。当然、足元は崩れるは、険しいはで大変であった。TADAはほとんどやけくそでさらに体中ボロボロになり、泣けてきそうなくらいつらかったが、なんとかニ・デーグルに電車の発車5分前に到着した。もちろん、小屋を出てからまったく休憩なしである。写真が山頂以後、3枚しかないがまったくとる余裕が時間的にも体力的にもなかった。電車に飛び乗ってようやく一息ついた。

モンブランはいままででもっとも厳しい登山であった。今度来るときには2日間かけてグーテ小屋にも泊まってみたいと思う。しかし、ガイドのジェフォムの助けをかなり受けたとはいえ、日帰りで3サミットルートを縦走できたので少しは自信がついた。ありがとうジェフォム! ありがとうモンブラン! そしてTADAも次を目指す!

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