マッターホルン・ブライトホルン登山(2003年夏)

マッターホルン登頂(TADA)(2003年7月30日)

マッターホルンのスイス側頂上からイタリア側を見る

マッターホルンのスイス側頂上からイタリア側を見る

感動のマッターホルン頂上!

ヘルンリヒュッテからマッターホルン登頂

3時50分に起床して、すばやく準備をして朝食に一番に飛びつき、すばやく食べ終わった。もういつでも出発できるのだが、ジュリエンはまだ終わっておらず、待つことになる。おーい。 結局、出発は4時30分でありガイドグループでは遅いほうになってしまった。まあ、どうせそうすばやく登れるほどの能力もないし、ついていくのなら息が上がったときに順番待ちで休めるかもと考えることにする。ソルベイ小屋から見る日の出。

ここでとんでもない忘れ物に気づく。宿で昨夜。紅茶を頼んでおいてのだが、それを持ってくるのを忘れたのだ。飲み物なし!持っているのはゼリー食物やあめなどのみ。うーん、ソルベイ小屋までの2時間弱はなんとか飲み物なしでも登れたが、この先を考えると、、、 するとジュリエンが飲み物を飲まないのかと聞いてくる。正直に宿で入れてもらうように頼んで忘れてきたと話すとあきれつつも、自分のボトルをTADAに差し出す。どうやら引き返せとは言われずにTADAに分けてくれるらしい。心から感謝して少しいただく。

6時27分ごろ、ソルベイ小屋から登っていくルートを見上げる。

この辺りでアイゼンをつけるように指示される。残雪の影響で通常よりは下だったようだ。後で登ったたぬはもっと上までつけずに登ったようだ。

ガイドのジュリエンが先行して、確保してから登っていく。モンブランの壁とは違って

左側には東壁がある。あんなところ登るのは正気とは思えない。挑戦しようという気すら起きない壁である。

ずぅっと両手を使うのぼりが続く。

雪と氷と岩の急斜面をはーはーと息を切らせて必死で登っていると、ジュリエンがもうそんなに遠くはないといってTADAをはげます。「またーそんなこと言って、肩の雪田なんてまだ通ってもいないし、まだだいぶんあるんでしょ」と思う。

しばらく登ると、マリア像が見下ろしているのに気づく。「こ、これは頂上直下にあるというマリア像では?」 そして、何の前触れもなく、ついに頂上に到着した。「そうかさっきの斜面が肩の雪田か。どこが雪田だ。あんな急な田があるか!」と思う。登れたのが信じられない。向こうには十字架のあるイタリア側の頂上があり、イタリア側からも登ってきているのが見える。

われわれと入れ替わりにスイス側に下山する登頂者。自分がもう登れたことが信じられず呆然としていた。所要時間は4時間10分であった。

マッターホルン頂上の景色

頂上からスタッフェルアルプStafelAlp方面を見下ろす。2000m以上の標高差があるはずだが、滑ったらあそこまで落ちていきそう。

イタリアのチェルヴィニアの集落が見える。

ユニクロのフリースを着ている。ものすごい数が売れたユニクロフリースだがこんなところにまで来れたフリースはいないであろう。もうぼろぼろで寿命だが貧乏な持ち主に感謝するように。 (ほかの人は山用のフリースなどもっと機能的でかっこいい服を着ている。TADAは高いので持っていない。)

モンテローザ、リスカム、ブライトホルンを望む

斜度が急すぎて、登ってきたルートは基本的に見えない。

モンブランを望む。さすがに高いし、昨年登った愛着のある山なのですぐ見つけることが出来た。

10分くらい滞在して、お茶(ジュリエンありがと)を飲み、写真やビデオをいっぱい撮ってから下りた。でも後で見るとろくな写真がない。やはり高山で頭の働きが鈍っていたのか、所詮はその程度の腕ということなのか。

登頂後のヘルンリヒュッテまでの苦しい下山

下り始めるが、登ってくる人とぶつかりそうになり、ほとんど戦争である。登っている途中に上から落ちてこられるのも怖いけど、登ってくる人に自分が落っこちていくのもあまりやりたくはない。

登りより下りのほうが下が見えてはるかに怖い。

ソルベイ小屋の近くまで下りてようやくアイゼンをはずす。数段歩きやすくなる。

下は相変わらず断崖絶壁。

岩が大きいのでしっかりとしたホールドや足場がなかなかつかめない。TADAの技量には過ぎた山であった。

ソルベイ小屋は太陽電池で電気が供給されている模様。電灯くらいだろうが。

ガイドのジュリエン。手に持っているのが分けていただいた飲み物。ありがとうございました。

懸垂下降を多用して、おろしていただく。とても自力では下りられない。しっかりと確保等をしているとガイド登山の数倍は所要時間がかかると思われる。

登りではそんなにばてなかったのに下りでばてばてになる。

見上見上げてすごい山を登れたものだと感慨にふける。もっとも自分の実力ではない。ガイドに登らせていただいたという感じだ。ヘルンリヒュッテに来る途中で出会った日本人の年配山や男性に「ガイド登山ですか?」と聞いたら、「この山は自分たちで登れる山ではないよ」と答えたのに今はまったく同感である。

右下にヘルンリヒュッテが見えるがまだまだ遠い。何度も休憩しているとはいえ、懸垂下降を多用しているのに何で登りより時間がかかるのだろう。

近く近くで見上げるとマッターホルンは巨大な岩塊で迫力はあるがそれほど美しくはない。

ようやくヘルンリヒュッテの近くの安全なところについた。マッターホルンを見上げていた数人の日本人の少しお年を召された女性がどうだったかと聞いてくる。「登れたけど、凄い山だった。死ぬかと思った」と答える。

ヘルンリヒュッテ到着は14時少し前であった。下りで5時間30分近くもかかってしまった。持久力と技術力のなさが露呈された。ジュリエンと食事をし、チップを払い、登頂証明書にサインをもらって別れる。ヘルンリヒュッテからツェルマットに電話をしてたぬとNAOMIに登頂を伝える。16時にシュヴァルツゼーで待ち合わせ。

シュヴァルツゼーまでダッシュ

急げー。

急げー。

急げー、げ、財布がない!ヘルンリヒュッテに取りに戻っても財布がある保障はない。さらにたぬとNAOMIがシュヴァルツゼーで最終の下りゴンドラがなくなり困ってしまう。しばらく迷っていたが、やむをえず前進を再開する

メーメーメーを発見。NAOMIがいれば喜ぶのに。

山道の途中でシュヴァルツゼーから30分も登ってきたというたぬとNAOMIに遭遇。うれしい。

ここまでずっとNAOMIは自力で登ってきたらしい。凄い。さらにNAOMIはシュヴァルツゼーまで自力で下る。決して歩きやすい道ではなく登山道なのに、、、

シュヴァルツゼーに寄り道をする。

氷と雪と岩のアルペンの世界から花と緑と水のハイキングの世界に帰って来てほっとした。

この後、アルパインセンター経由で問い合わせたところ、財布はヘルンリヒュッテにあることが判明したが、待てどくらせどツェルマットには下りてこないので自分でヘルンリヒュッテまでとりに行くことになる。

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コメント(2)

初めてメールします アイガー登山記興味深く読ませて(見ました)Iアイガーはやっぱりすごいようですね 私も登って見たいと思っていますが現在67歳と高齢ですから一寸無理なようですね 一応来年予定はしていますが
 登山中にも素晴らしい写真をたくさん撮って見えますね私も写真は好きですがアルプス登山中は特にマッターホルンでは頂上まで一枚も写真は取れませんでした登山中はほとんど休憩はなくカメラをザックから出す余裕もありませんでしたから 貴方はどのようにしてたくさんの写真を撮られたのかお教えください
突然のメールで失礼しました

たぬたぬ :

アイガー登山の記録を読んでくださってありがとうございます。
マッターホルン登頂おめでとうございます。
来年のアイガー登山も頑張ってください。私のアイガー登山の前日、アイガー・ミッテルレギ小屋で一緒になったフジさんという男性は64歳でした。きっと彼も登頂できたと思っています。体調と天気にも恵まれることを祈っています。
登山中の写真は、私は休憩のたびに撮っています。夫は首に通して胸に下げているので順番待ちなどしているときにも撮っているので枚数が多いです。私ももっとたくさん撮りたいのですが、余裕がないですね。ガイド登山はスピードが大切なので写真を撮っていて時間オーバーで引き返すという事態を避けたいと思うと、写真を撮るから待ってくれとはガイドに言いにくいですよね。

以前、他の方にも写真のことを聞かれたことがあり、そのときの返事が以下のページのコメント欄にありますのでよろしければ参考にしてください。
http://aimi.jp/alps/45200407eiger/20040808.html#000499