アイガー・メンヒ・ユングフラウ登山(2004年夏)

アイガーから下山(2004年7月28日)

アイガーからの下山

30分ほどゆっくりしてから9時40分に下り始める。たぬとNAOMIとの待ち合わせ予定は15:00だがウールスによると大丈夫とのこと。下りは懸垂下降を多用してラクチン。マッターホルンのときは懸垂下降(セーリング)で岩にぶつかり、痛かったが、ウールスは懸垂下降のさせ方が上手で楽しく降りれた。

ウールスの下り方はほれぼれするほど上手い。まったく危なげない。

10時36分、アイガー山頂からの急斜面の下りを一旦終える。また登らなければならない。トホホ。盛岡から来た日本人のパーティに会う。今朝ユングフラウヨッホまで登山電車で登ってきてアイガーに向かっている途中(TADAと逆コース)とのこと。「この先どんな感じですか?」と聞かれるが相手の技量(TADAより上に決まっているが)もわからないので「登るのはかなり大変ですよ」といっておいた。逆コースは登りに固定ロープの設置も少ないし、ガイドもいないことを考えるとアイガーに登ってその後ミッテルレギ小屋あるいはメンヒヨッホ小屋に戻るにはぎりぎりの時間(あるいは無理)ではないかとは思った。

ヴェッターホルン(3701m)。眺めは相変わらず最高。

フィッシャーホルンも大分角度が変わってきた。

ウールスがロープを投げる。南アイガーヨッホからはまた登りで疲れてきたTADAには厳しい岩登りであった。

メンヒの手前の稜線が雪になっているところまで行くとあとは雪原歩きである。まだ遠い。

アイガーを振り返る。名残惜しい。

南アイガーヨッホはもう少し。

フィッシャーホルンはグリンデルワルトの裏側から見ると比較的簡単そう。表側からはとても登れそうもないが、、、

12時14分、南アイガーヨッホに到着せり。これで岩場はもうない。

雪原歩きに備えて、ロープの長さを調整するウールス。雪原とはいえどこにクレヴャスがあるかわからないのでアンザイレンは必須である。

ひたすら雪の上を歩くが、TADAの足の筋肉はもう限界。遅れ気味でウールスに迷惑をかける。

振り向くとアイガーがかっこいい。あれに登ったかと思うとしあわせ。

12時47分、メンヒヨッホ小屋の下を通過。ウールスに休んでいくかと聞かれたが、たぬが15:00の待ち合わせの前にNAOMIに犬ぞり体験をさせるために早めに電車でユングフラウヨッホまで登ってくると思われ、早く交代すればそれだけたぬが早くミッテルレギ小屋に出発できるので休まずユングフラウヨッホに向かう。

メンヒヨッホ小屋を過ぎるとウールスはアンザイレンもといてハイキング状態。家族連れや観光客が結構いる。しょいこに背負った子供はNAOMI並みかNAOMIより小さそう。高山病は大丈夫なのだろうか。

12時56分、あと少しで到着。

ユングフラウヨッホからグリンデルワルトへ戻る

ユングフラウヨッホではすでにたぬとNAOMIが上がってきていて、無事待ち合わせは成功するが、NAOMIは氷の宮殿を見ただけで「さむい」と行って寝てしまったらしい。

駅は暖房がよく効いていてまったく寒くは無いが、高山病の可能性もあるのでたぬにすばやく荷物を引き継ぎ、ただはNAOMIを連れてグリンデルワルトへ帰ることにする。たぬとガイドはアイスメーア駅経由でミッテルレギ小屋へ向かった。帰りの電車を待つ人がすごかったが、なんとかある車両にもぐりこむ。座席には座れなかったが、乗降口のステップにNAOMIをだっこして座り込んだ。

16:10 クライネシャイデックで電車を乗り換え、グリンデルワルト行きでは座席を確保できなかったのでグルント行きに乗る。これでグルントで下りて、グリンデルワルト行きに乗り移るつもりである。

快晴状態がまだ続いていて、ユングフラウやシルバーホルンが美しい。

幸せなTADAとNAOMIを乗せてヴェッターホルンの麓のグリンデルワルト目指して電車は走る。

アイガー北壁を見上げると、この上に今日の午前中までいたことが夢のようである。

ミッテルレギ小屋が見える。たぬとウールスはもうついたかな?

グルントでは、グリンデルワルト行きが先に発射してしまい、乗り換えに失敗。30分待ちとなり、周辺を散策する。NAOMIも元気を回復。良かった。

その夜、21時頃。アイガーは真っ赤に染まった。たぬには「絶対に21時までは寝ないで夕焼けをみないと後悔する。絶景だ」と伝えたのであの稜線から燃える山々をみているだろう。

幸せな気分で眠りに着く。

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