レマン湖・スイス西部観光とシャモニで登山(2007年夏)

モンテローザ・ツムシュタインスピッツェ登頂(TADA)(2007年8月 4日)

モンテローザ・デュフールスピッツェ~ツムシュタインスピッツェより

マントヴァ小屋からツムシュタインスピッツェまで

マントヴァ小屋では21時前に寝ようとしたが、朝までに結局2時間も寝れなかった。別に体調不良でもないが、高度順応が不十分なせいかもしれず、午後遅くまで体力がもつか不安である。緊張していることもあるのかもしれない。

午前4時に起床し、マントヴァ小屋の朝食を食べる。長丁場になると思われたので、スタミナ不足に陥らないようにとにかくいっぱいおかわりして食べた。ガイドがきいたところでは、今日モンテローザ・デュフールスピッツェ[Dufourspitze/4634m]まで登ろうとしているのはTADAとガイドだけだという。他の客たちはみな、もっと近くて簡単な前衛峰を登るようだ。日本では富士山が登山好きでなくても一度はいってみる日本最高峰であるように、モンテローザもイタリア人にとっては自国の誇るべき山(最高峰はモンブランだが、イタリア側からはここより難しいと思う)であり、気軽にくるところなのだろう。

どうもTADAはガイドにとって、技量的にも体力的にもグランド・ジョラスには連れて行けないいまひとつのクライアントと思われているようであり、たぬもスピード不足(+テクニック不足)でグランド・ジョラスに敗退している。いまさら技量は変えられないが、スピードについては今日は、死力をつくさねばならない。ガイドとは、デュフールスピッツェ[Dufourspitze/4634m]に登れたら、ヨーロッパ最高所のマルガリータ小屋に今夜は宿泊し、明日はリスカム[Liskamm/4527m]に挑戦するということで話がついている。

5時頃に出発して、登り始める。最初は岩の上を登っていたが、すぐに氷河上の登りになった。とにかく息をきらさないよう全力で登る。ガイドは、TADAがバテるのを気にしているのかあまり早く登らない。アンザイレンしたロープを適度にはっておく必要があり、あまりガイドに近づきすぎるわけにはいかない。しばらく我慢していたが、どう考えてもまだ余裕があったので、「もっと早くしてくれ、もう少し早いのがちょうど良い」ということを何回かガイドに伝えた。ガイドは少しは早くしてくれたが、TADAには余裕があり、リスカムへのルートを分けるLisjochまであまり息も切らさず登ってしまった。

誰にも抜かされずにかなりのパーティを抜かした。ガイドのペースに十分ついていけて、息もきれておらず疲れてもいない。これまでになく調子がいい。

6時50分、左側にリスカム[Liskamm/4527m]がみえ、その陰にはマッターホルン[Matterhorn/4476m]もみえる。

行く手に目的の山、デュフールスピッツェ[Dufourspitze/4634m]がみえてきた。右側のツムシュタインスピッツェ[Zumsteinspitze/4563m]を経由して縦走することになるはずである。

右手前がパロットスピッツェ[Parrotspitze/4436m]で奥に見えるのがジグナールクッペ[Signalkuppe/4556m]である。

スイス側の視界が広がり、ツィナールロートホルン[Zinalrothorn/4221m](左側)とヴァイスホルン[Weisshorn/4505m](右側)がみえる。昨年山頂にたったヴァイスホルンをイタリア側からみることができて感動した。

モンテローザは巨大な山塊であり、とても大きいのを実感できた。

スイス・ヴァリス山群のオールスターが揃っている。ゴルナーグラードもみえる。

出発して約2時間30分、7時40分。太陽があたるところへ出たところで、休憩をとる。

7時47分、ツムシュタインスピッツェ[Zumsteinspitze/4563m]までは難しいところはなさそうだ。

8時9分、ツムシュタインスピッツェ[Zumsteinspitze/4563m]はもう目の前だ。

ツムシュタインスピッツェ登頂とデュフールスピッツェ敗退

8時25分、ツムシュタインスピッツェ[Zumsteinspitze/4563m]に登頂した。予定よりも大分早く、 あとは目の前のデュフールスピッツェ[Dufourspitze/4634m]に挑むだけである。デュフールスピッツェもツェルマット側から見るのとは異なり、かなり険しいルートが予想されるので気をひきしめなければいけない。しかし、時間はたっぷりある。

左がリスカム[Liskamm/4527m]、中央奥にマッターホルン[Matterhorn/4476m]がみえる。

リスカムはツェルマット側からみたのとは山容がまるで違う。

ツムシュタインスピッツェからグレンツ・ギプフェルというデュフールスピッツェとの間の鞍部に下り始める。 かなり雪がついており、とても難しい。少し下って行ったが、きっちり確保して、ゆっくり慎重にくだらざるを得ない。TADAにとってはかなり難しく慎重にならざるをえず、ガイドもとても神経質になっている。
少し下るだけで30分以上の時間を要した。ガイドが「今日は雪が付きすぎていてルートの状態が悪く危険だ。危険なだけでなく、デュフールスピッツェまで時間がかかりすぎると午後になり雪がゆるんでもっと危険になる」とこれ以上進むのを中止するといってきた。

TADAは非常に残念であったが、確かにこのルート状況ではTADAの技量では手にあまり、危険であるのは明らかであった。それに山ではガイドに絶対服従であるので戻ることを了承した。

9時46分、さきほどは通過点に過ぎないと考えて、記念写真もとらなかったツムシュタインスピッツェ頂上でガイドと居合わせた登山者に写真をとってもらう。

TADAにとっては4年前に続く、モンテローザ・デュフールスピッツェ敗退である。どうもあの山とは縁がないのかもしれない。ガイドが、イタリアの最高峰はここなのだからと慰めてくれる。やむをえないとは思いつつもがっかりだ。 他の登山者もほとんどツムシュタインスピッツェまでで引き上げていった。ただ、一組だけガイド登山ではない2人組がデュフールスピッツェへ向かっていったが、結構危なげで時間がかなりかかっていた。彼らはその後登れたのだろうか?

リスカムに挑むが敗退

ツムシュタインスピッツェ[Zumsteinspitze/4563m]から下りだすと、ガイドはジグナールクッペ[Signalkuppe/4556m]のほうへ向かっていく。ガイドに「どうするの」と聞くと、「今日の登山は終わり」という。この快晴で10時過ぎからずっとマルガリータ小屋でゆっくりするのはあまりにもったいないので、「今日これからリスカムへ登ることができるか」とたずねると可能だとのこと。ただ、リスカムに登ってもおそらく今日中にシャモニまで帰ることは不可能だろうといわれたがかまわないと答える。 マルガリータ小屋はとまってみたいが、TADAも少しでも早く山に登って、家族のまつシャモニに戻り、いっしょに楽しみたいのだ。

下りは登り以上に楽なので、すごいスピードで下っていき、11時すぎからリスカムにとりついた。

11時17分、デュフールスピッツェやツムシュタインスピッツェはあんなに遠くなってしまった。

リスカムに登ってきた人たちが、安全地帯で休憩している。

ガイドとTADAがとりついたあと、だんだん風がつよくなってきた。高山なので強風が吹くことはよくあるが、リスカムの核心部のナイフエッジの雪稜は左右が切り立っており、おちたら引っかかるものはなにもない。あれほど急だとピッケルやアイゼンでとまれる自信もない。疲れてはいないが、先頭を歩くTADAも慎重になり、なかなか進まない。ガイドも余裕をなくし、声をあらげてTADAに指示する。ナイフリッジが一段落して傾斜がいったんゆるやかになったところでTADAは座るように命じられた。ガイドはカメラを渡すようにいい、写真をとってくれた。こんな余裕のない状況でサービスがいいと思ったら、ガイドに引き返すように命じられた。理由は、これ以上強風のふく急なナイフリッジをTADAのおぼつかない技量で登るのは危険だからということであった。

さすがにショックであった。天候もよく、時間も余裕があり、疲れてもいない状態でテクニック不足で戻れといわれたということは、おまえにはこの山を登る資格はないといわれたに等しい。もともとコズミック稜を登ったりして、TADAの技量は知っているはずなのに、、とかゆっくり慎重に登りすぎて、腰が引けていると思われたのか、、、とかさまざま思いが頭の中をかけめぐった。リスカムの引き返すことになったことは、登山暦で最大のショックであり挫折であった。

戻るのも大変だったリスカムのナイフリッジ。

ナイフリッジを下ってから、無念の思いでリスカムの頂上方向をみる。強風で雪が吹きとばされている。

山はこんなにきれいで天気もいいのにどこも登ることができなくて悲しい。歩いて登れる山だけは登らせてくれるのだろうが、簡単な山のピークハント(もともとピークハントは大好きだが)をいまする気にはなれない。山に対する姿勢やトレーニング、技術の勉強をいちからやり直す必要があるのかもしれない。

がっかりして下山

遠くにガイドおすすめの山、グラン・パラディゾ[Gran Paradiso/4061m]がみえる。帰りにガイドに登ることをさそわれたが、シャモニ滞在の残り日数や、天候や体調など好条件でもテクニック不足で敗退し、雪の上をただ歩く山以外は登れないといわれている気がし、とてもプライベートガイドを依頼してまで行く気になれなかった。子供が登れるようになったら1対2か1対3で登ることにしよう。

息もきれないのでどんどん下る。

遠くにモンブランがみえる。

マントヴァ小屋で昼食をとってからまた下る。昼食もおいしかった。もうアンザイレンはせず、ガイドもどんどん歩く。

きのうより天気はよく、イタリア側の山並みがよくみえる。標高3000mくらいで日本の北アルプスのような感じである。

TADAはだんだん足の筋肉の疲れがでてきて遅れがちになる。 雪のところも、気温があがって緩んできて滑りやすく、下りはとくに歩きにくい。

15時7分、標高3260mプンタ・インドレンまでおりてきた。

この高さでもかなりの高度感がある。

今日から土曜日でウィークエンドのためか、きのうに比べて登山者がすごく多い。

16時1分、サラティパス[Passo Salati/2980m] に到着した。 すぐに下りゴンドラにのる。

途中は緑が多く、ハイキング向きの地形が多かった。牛の放牧も行われているようだ。

16時34分、Staffelへ到着。ガイドの車でシャモニまで送ってもらう。

アオスタの谷には、岩山の上に城塞らしき建物がおおくあった。いつのじだいのものなのだろう。

18時20分ごろ、モンブラントンネルの手前までかえってきたが、モンブラントンネルが事故のため閉鎖されており、再開されるまでまつことになってしまった。 なお、ここに来るまでにたぬと携帯メールで相談し、今回の旅行での登山活動をうちきることを決めた。今回は登山については残念な結果になったが、家族旅行としては残り期間を楽しくすごしたい。

モンブラントンネル入口で待つ車。

21時にようやくシャモニのアパート前まで帰ってこれた。ガイドにお礼をいいお別れをする。

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